ローレンス焼魚の記録

どうにかこうにか生きていく

記憶とは元々脳にあったのではないか


ミケランジェロと彫刻

ミケランジェロの言葉に「石の塊に埋まっている彫刻を取りだす」というような言葉がある。
原文ママの訳だと「私は、その大理石の中に天使を見いだす、彼を自由にするまで彫り続けた。」
になるらしい。
これは石を何かの形に削っていくのではなく、元々石に特定の形が内包されているという考え方である。
ミケランジェロはただそれを取り出しているにすぎないのだ。

僕が思うのは記憶もそうなのではないかという仮説である

僕は幼少期から漠然と
自分が死んだらまた自分をやり直す(生まれるところにループする)と思っているのだ。
何かを読んだわけでもなくただ漠然と小学生ぐらいから思い続けている。

それとミケランジェロがどう通ずるのか

道路が左右に分かれていた時、なんとなく左に行こうとか思うことがある。
なんとなくやめておこうなんてことは多々ある。
もちろんその逆で妙に自信がある時もある。
これはまさに前回の人生からの教訓なのではないかと思う。
前回の人生を更により良くするために日々人は記憶しているのではないだろうか。
しかし、これは脳に刻むという行動であるとともに過去の経験を掘り起こしているのではということだ。
Carという英単語を覚えたのか、Carという英単語を記憶の中から掘り返したのか。
その違いに差はないのかもしれないがとても気になる。

ただ間違いなく言えるのは記憶は人類にとってもっとも素晴らしい行為である。
この記憶を子孫、未来へ繋ぐ事はとても崇高な行為だと思う。
フリーメイソンの試験でかなりの量の記憶を行うというのを読んだことがある。
まさにこれは「記憶」という「遺産」を重要視しているからではないだろうか。

だから僕は今日も知識を刻み、脳を掘り起こし、こうやって文字にしていこうと思うのだ。

だれかのなにかになるために